私と我が家と井口文華堂

この数か月間、地元日吉のお店の閉店が続いています。


ついに、、『井口文華堂』も縮小移転となりました。
これは、長く日吉に住んでいる人にとっては、
残念、ショックとしか言えないできごとだったのではないでしょうか。

私にとって、我が家にとって、井口文華堂は特別なお店でした。


私の祖父が、日吉に住み始めたのは、昭和4年ごろだったと聞いています。
当時の日吉駅周辺は慶應大学と民家がポツポツある程度の原っぱでした。
祖父は「将来、この土地は絶対に便利になる」と確信し、
現在の我が家とレンタルスペースが建っている場所を購入したそうです。
その後、戦争になり、日吉の家を残して疎開。
戦後、空襲を逃れた日吉の自宅に戻って、再び生活を始めました。

その頃、バラックを建てて「紙屋」を始めたのが
井口文華堂の先代の社長でした。

祖父は、書道や水墨画を趣味としてやっていましたので、
その縁で、開店したばかりの井口社長と知り合いました。
祖父は書道の腕を活かし、近所の賞状を書く「筆耕」をやっていたらしいのですが、
その後、筆耕の仕事を井口社長に譲ったと聞いています。
社長が、店先で賞状や祝儀袋のお名前を書く仕事をしていたのを
目にした方も多いのではないでしょうか?
懐かしいです。


私も子供のころからお客さんとしてお店に行っていましたが、
大学生の時にアルバイトとして働き始めました。
当時の私は、祖父と社長の関係をあまりよく知らなかったのですが、
私が孫であること知り、社長がとてもかわいがってくれました。
私も小さい時から書道をやっていましたので、
社長からは
「私がやめたら、今度はあなたに賞状書きを譲るからね」
「留守の時は、あなたが祝儀袋を書いてね」といつも言われていました。


小学校から地元の学校に通わなかった私にとって、
文華堂でのアルバイトは地元の友達や、地元のお店の方の顔を知る
とても良い機会となりました。
また、20代前半でのお店でのアルバイトは、人格形成の基礎となる
貴重な社会勉強になりました。
井口社長は「客あしらい」がとてもうまく、怒るお客様、ワガママなお客様にも
うま~~~く対応していました。
上から目線でなく、あるときは自分を「バカ」だと思わせて
お客様を上手にたしなめていました。
「本当の商い」を知っている方だと、まだ若かった私は感心し
見習いたいと思っていました。


時代が変わり、なにもかもがネットやコンビニ、100円ショップで
安く買えてしまう昨今。
私はだいぶ前から、「なぜ、文華堂はネットで発信しないのだろう?」と
疑問を持っていました。
ブログでも、ホームページでも、日吉を代表する老舗として
発信する意味はあるのではないか、と個人的に思っていました。
お節介ながら、立ち話程度に提案したこともありましたが、
返ってきた答えは「ネットに抵抗がある」。

ああ、本当に残念・・・。


ネットやコンビニ、100円ショップでは買えないものがあるのです。
それは、物理的な「物」だけでなく、雰囲気、日吉らしさ、そういうものも含まれます。
ペン1本だけを買う予定でお店に入り、隣においてあったすてきなメモ帳を
なんとなく見たり、最新の便利な文具を発見したり・・・・。
そういう何気ない楽しさは、
安さや便利さだけを追求したお店では味わえないのです。
こういう時代だからこそ、アナログ感を満喫できる場所として、
なんとかがんばって欲しかったな~と思います。


これから、2階の紙コーナーにあった「全色揃ったラシャ紙」を
いちいちどこかに探しに行かなくてはならなくなるなんて・・・。
ホワイトボードのペンの替え芯、カッターの刃、イラスト用の描きやすいペン、
いったいどうすればいいのでしょう。

いろいろな事情があったのでしょうが、
復活してほしいです。


今のままだと、「外から来たお店」ばかりの街になってしまいそう・・・。


春らしくなってきましたね!
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日吉を我が物顔で歩いている、「黒柴 こうちゃん」です。


レンタルスペースは、おかげさまで好評営業中です!
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則末医院の2階です。
お花をいっぱい飾っています。

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入口にも、お花。

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電子レンジ、ポット、各種食器などそろっています。
いろいろなアイディアで、ご利用ください!

http://kirospace.cute.mepage.jp/


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